流行。
2003年12月11日今日の夕刊の新聞にめちゃめちゃ大きな広告があった。
世界の中心で、愛をさけぶ
の広告。
テレビ欄の下全部使うぐらいの大きさ。
最近広告会社に入りたいかもとか思ってるから、
やっぱ広告とかもちょっと気にするようになってるらしくなんかひっかかった。
この本がここまで売れたのは、
もちろん小説自体がいいのもあるだろうけど、
それよりも「流行」によるところが大きいような気がする。
流行ってるから読んでみよう的な人も結構いたと思うのよ。
僕は基本的にそーゆーのあんま好きくないのよね。
流行ってるから自分もっていうのが。
まぁ僕もそういうのが全然ないってわけじゃないけど。
僕もこの本読んでるし。
しかも結構売れ始めてから。
けどなんかその広告見て嫌な気分になったのよ。
こんなに流行ってるんだぜ!
みたいな感じがして。
なんつーか、祭りみたいなもんなのねきっと。
リンダリンダラバーソール読んだあとだからこんなこと思うんだろうけど。
バンドブームとかと一緒だ。
いい金づるが見つかったからもっともっと売ってやるみたいな。
そんなオーラがその広告からは感じられたの。
でもその広告っていうのはもちろん広告会社が関わってるわけで。
しかも広告会社ってのはこうゆう流行を作っていく側なわけで。
そう考えると僕は広告会社に向いてないのかなとか思った。
普通の商品の流行は全然いいんだけどね。
世の中で鬼のように緑茶が出てた中で生茶が物凄い売れたのとか。
そうゆう流行は好きなのよね。
それを仕掛けた人たちはかっこいいと思うの。
でも音楽とか本とかの流行があんまり好きじゃない。
前大学のCD屋でリップスライムのCD買ってた人がいたのよ。
その人が友達に
こーゆーの車でかかってたらかっこいいやん?
とかゆってたの。
それ聞いて僕はなんとも言えない気分になったからね。
とりあえず自分はこんな音楽の聴き方をする人間にはなりたくない。
なんか、この日記書いてて本とか音楽の流行がなんで嫌いかわかった気がする。
本とか音楽とかが流行ると、
その作品が完全に商品として扱われるからだ。
もちろん流行るまえから商品なんだけど、
流行ると更にそれが強くなる気がする。
今日見た広告見ても片山恭一さんがちょっと可哀想に思ったもん。
なんかもうあの本が自分の手から離れてるよねきっと。
それでも売れたらやっぱ嬉しいのかな。
世界の中心で、愛をさけぶ
の広告。
テレビ欄の下全部使うぐらいの大きさ。
最近広告会社に入りたいかもとか思ってるから、
やっぱ広告とかもちょっと気にするようになってるらしくなんかひっかかった。
この本がここまで売れたのは、
もちろん小説自体がいいのもあるだろうけど、
それよりも「流行」によるところが大きいような気がする。
流行ってるから読んでみよう的な人も結構いたと思うのよ。
僕は基本的にそーゆーのあんま好きくないのよね。
流行ってるから自分もっていうのが。
まぁ僕もそういうのが全然ないってわけじゃないけど。
僕もこの本読んでるし。
しかも結構売れ始めてから。
けどなんかその広告見て嫌な気分になったのよ。
こんなに流行ってるんだぜ!
みたいな感じがして。
なんつーか、祭りみたいなもんなのねきっと。
リンダリンダラバーソール読んだあとだからこんなこと思うんだろうけど。
バンドブームとかと一緒だ。
いい金づるが見つかったからもっともっと売ってやるみたいな。
そんなオーラがその広告からは感じられたの。
でもその広告っていうのはもちろん広告会社が関わってるわけで。
しかも広告会社ってのはこうゆう流行を作っていく側なわけで。
そう考えると僕は広告会社に向いてないのかなとか思った。
普通の商品の流行は全然いいんだけどね。
世の中で鬼のように緑茶が出てた中で生茶が物凄い売れたのとか。
そうゆう流行は好きなのよね。
それを仕掛けた人たちはかっこいいと思うの。
でも音楽とか本とかの流行があんまり好きじゃない。
前大学のCD屋でリップスライムのCD買ってた人がいたのよ。
その人が友達に
こーゆーの車でかかってたらかっこいいやん?
とかゆってたの。
それ聞いて僕はなんとも言えない気分になったからね。
とりあえず自分はこんな音楽の聴き方をする人間にはなりたくない。
なんか、この日記書いてて本とか音楽の流行がなんで嫌いかわかった気がする。
本とか音楽とかが流行ると、
その作品が完全に商品として扱われるからだ。
もちろん流行るまえから商品なんだけど、
流行ると更にそれが強くなる気がする。
今日見た広告見ても片山恭一さんがちょっと可哀想に思ったもん。
なんかもうあの本が自分の手から離れてるよねきっと。
それでも売れたらやっぱ嬉しいのかな。
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